アリストテレスの中庸から考える幸福(エウダイモニア)

哲学考察

幸福とは何でしょうか? これが誰にも明らかで、誰にでも分かるように説明できる人はいません。誰かにとっての幸福は誰かにとっての苦痛になり得ますし、誰かではなくても、何かにとっての問題になるかも知れません。私たちは日常生活を送る上で、何を優先して物事を考え、行動に移しているのでしょうか。それは大抵が今より良くなることを目指した選択であるとソクラテスは考えました。

そのソクラテスの考え方をさらに先に進め、その優先した物事とはつまり幸福であるとアリストテレスは考えたのです。しかし、この幸福というものがなんであり、どのように達成されるかについて、イマイチ理解するのが難しい部分があります。そのため今回はこの幸福(エウダイモニア)について考えていきます。

中庸と幸福について

彼のことを知らない人は別の記事、アリストテレスを参照してください。哲学における伝説的存在であり、あらゆる哲学の基礎を作ったといっても過言ではありません。そんなアリストテレスですが、今回は「中庸」に焦点をあてながら、彼の主題でもあった「幸福(エウダイモニア)について考えていこうと思います。

中庸とは?

「中庸」とは、過度でも不足でもない、ちょうど良いバランスの状態を指し、真の幸福や徳を追求するためのアリストテレスの哲学的な指針です。

アリストテレスの「中庸」は、ある特定の徳に関して、その過少と過多の中間に位置する状態を指します。例えば、勇気に関しては、臆病と軽率の中間、つまり適切な度合いの勇気が「中庸」であるとされます。彼にとって、この「中庸」の状態こそが徳の完全な形態であり、人は「中庸」を実践することで真の幸福を追求することができると考えられています。

幸福(エウダイモニア)とは?

アリストテレスの「エウダイモニア」は、物質的な豊かさや一時的な快楽ではなく、徳に従って魂の活動を完全に行うことでの真の人間の幸福や充実を指します。

アリストテレスにとって、幸福は単なる快楽や物質的な豊かさだけを指すものではありません。彼は幸福を「魂の活動が徳に従って完全に行われる状態」と定義しています。これは、人が自らの能力や潜在性を最大限に活かし、徳に従って生きることで得られる最高の善、つまり幸福を追求することができるという考え方を示しています。

結論として、アリストテレスの中庸から見た幸福は、人が自らの徳を適切なバランスで実践し、その結果として得られる魂の活動の完全性にあると言えるでしょう。

中庸における適切なバランスの判断

アリストテレスの「中庸」における「適切なバランス」とは、特定の徳や行動に関して、過度でも不足でもない、ちょうど良い状態を指します。このバランスは、極端な状態や過度な行動を避け、中間の状態を追求することで得られるとされています。

適切なバランスの判断基準

  1. 状況や文脈の考慮
    ある行動が適切なバランスを保っているかどうかは、その行動が行われる状況や文脈によって異なります。例えば、戦場での勇気と日常生活での勇気は、その表れ方や求められる度合いが異なるでしょう。
  2. 極端な状態の回避
    アリストテレスは、徳の過度と不足の両方を極端な状態とみなし、これらを避けることで中庸の状態を追求することを推奨しています。例えば、勇気に関しては、過度な勇敢さ(軽率)と不足な勇敢さ(臆病)の中間を目指すべきだとされています。
  3. 個人の性質や状況の考慮
    人それぞれの性質や状況に応じて、適切なバランスは異なる場合があります。ある人にとっては適切な行動であっても、別の人にとっては過度や不足である可能性があります。

バランスが取れている/取れていないの判断

  • 内的な平和や満足感
    人は自らの行動や選択が適切なバランスを保っていると感じたとき、内的な平和や満足感を感じることが多いです。
  • 外部からのフィードバック
    他者や社会からの評価やフィードバックを通じて、自らの行動が適切なバランスを保っているかどうかの指標を得ることができます。
  • 長期的な結果の観察
    短期的には適切に見える行動でも、長期的に見てその結果が良くない場合、その行動は適切なバランスを保っていないと判断されることがあります。

最終的には、適切なバランスを判断するには、自己認識、他者からのフィードバック、そして経験を通じた洞察が必要となります。アリストテレスの哲学は、このようなバランスを追求することで、真の幸福や人間の完全性を追求する道を示しています。

勘違いしやすいので補足

アリストテレスの「中庸」の概念は、単に行動や徳のバランスだけを指すものではありません。それはまた、自己認識と外部からの評価やフィードバックの間のバランスを取ることも含意しています。彼の哲学は、外部の評価や他者の意見に完全に依存することなく、しかしそれを完全に無視することなく、自己認識を深めることの重要性を強調しています。

他者からのフィードバックは、自分の行動や選択が社会的な文脈や他者の期待とどのように合致しているかの指標として役立ちます。しかし、それだけに依存すると、自己の価値や信念を見失うリスクがあります。一方で、完全に自己認識だけに頼ると、自己中心的になり、他者や社会との関係性が乖離してしまう可能性があります。

このように、自己認識と他者からのフィードバックの間の「中庸」を追求することは、真の自己理解と社会との調和的な関係を築くための鍵となります。アリストテレスの「中庸」は、このようなバランスを取ることの重要性を示唆していると解釈することができます。

中庸の幸福とは?

適切なバランスの取れた状態である幸福は、内的な平和、調和、そして自己の能力や潜在性を最大限に活かして生きることができる状態を指します。これは、物質的な豊かさや一時的な快楽だけではなく、心の満足感、人間関係の質、自己実現、そして生活の目的や意義を見出すことができる状態を含んでいます。適切なバランスが取れていると、人は外部の変動や困難にも動じることなく、安定した精神的な幸福を享受することができるとされています。

中庸の幸福の例

適切なバランスの取れた幸福とは、例えば、仕事での成功と家庭での時間をうまく両立させることができる状態を指します。これは、毎日残業で家に帰る時間がないような過度な働き方や、逆に仕事をサボって家族との時間ばかりを優先するような状態ではなく、ちょうど良いバランスで仕事とプライベートの時間を楽しむことができる状態を意味します。このようなバランスが取れていると、仕事のストレスも家庭の問題も上手く乗り越えられ、毎日を充実感を持って過ごすことができるとされています。

  1. 健康と楽しみのバランス
    毎日ジャンクフードばかり食べるのも、厳しすぎるダイエットで食事を楽しめないのも良くないです。適切なバランスの取れた幸福は、健康的な食事をしつつ、たまには好きなものを楽しむことができる状態を指します。
  2. 趣味と責任
    週末は趣味の時間を楽しみたいけれど、家の掃除や買い物も必要。適切なバランスは、自分の好きなことをする時間と、家事や他の責任を果たす時間をうまく組み合わせることができる状態を言います。
  3. 社交と一人の時間
    友人や家族との時間は大切だけど、自分の時間も必要。適切なバランスの取れた幸福は、人とのコミュニケーションを楽しみつつ、時には一人の時間を大切に過ごすことができる状態を指します。
  4. 節約と贅沢
    お金を節約することは大切だけれど、たまには自分へのご褒美も必要。適切なバランスは、賢くお金を使いつつ、時折、自分や家族を楽しませるための贅沢もできる状態を意味します。

これらの例は、日常生活の中で私たちが追求する「ちょうど良いバランス」を示しています。このバランスが取れていると、生活における小さな幸福を感じることができると考えられます。

現代社会における中庸の幸福についての考察

現代社会は、情報の過剰さや消費文化の高まり、さらにはSNSを通じた即時性や比較文化の影響を強く受けています。これらの要因は、過度な消費や極端な価値観を生み出す土壌となっています。アリストテレスの「中庸」の概念を現代社会の文脈に当てはめて考察すると、以下のような関係性や示唆が考えられます。

  1. 過度な消費と「中庸」
    現代の消費文化は、新しいものを追求することや、他者との比較を通じて自己の価値を見出そうとする傾向が強まっています。しかし、「中庸」の観点からは、必要以上の消費や過度な物欲は避け、必要なものや真に価値あるもののみを選ぶことが推奨されます。これにより、持続可能な生活や真の満足感を追求することができると考えられます。
  2. 極端な価値観と「中庸」
    SNSやメディアの影響で、極端な価値観や一過性のトレンドが生まれやすくなっています。しかし、「中庸」は、極端な価値観や一時的な流行に流されることなく、自己の内面や真の価値を見つめ直すことの重要性を示唆しています。これにより、他者や社会のプレッシャーに振り回されることなく、自己の信念や価値観を持つことができると考えられます。
  3. 「中庸」の再評価
    現代社会の複雑さや速さに対して、「中庸」はバランスや調和を求める普遍的な指針としての役割を果たすことができます。過度な消費や極端な価値観からの解放、そして真の幸福や満足感を追求するための道しるべとして、「中庸」の概念は現代社会においても非常に有効であると言えるでしょう。

結論として、アリストテレスの「中庸」は、現代社会の過度な消費や極端な価値観という問題に対して、人々が真の幸福や持続可能な生活を追求するための普遍的な指針を提供しています。

さいごに

幸福を考える上で、ものすごく簡単な表現に頼ると「幸福とは自身における物事のバランスが取れている状態」といえます。この表現は完璧ではありませんが、ある意味では的を得ている答えといえます。いや、幸福そのものについて言及していないじゃないかとソクラテスに怒られそうですが……

この中庸という考え方は現代社会に生きる我々が、今こそ注目し実践していかなければならない哲学なのではないかと思います。我々は資本主義や社会主義、共産主義のような哲学を土台に大きくその文明を進化させました。富は増え、ある意味で人は豊かになったといえます。しかし、心は貧しいままであると揶揄されるのは、こうした背景があるからでしょう。

人はバランスを取ることが難しいのです。なぜなら、適切なバランスを判断するには、自己認識、他者からのフィードバック、そして経験を通じた洞察が必要だからです。どれか1つでも欠けると、もはやそこには中庸はありません。バランスを失えば、徳の1つであるといわれる勇気も無謀となります。

あなたは本当にバランスが取れた人生を生きているといえますか? この機会に考え直してみましょう。

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