2つの学派について
ストア派はゼノンが創始者であり、エピクロス派は文字通りエピクロスが創始者です。日本語でわかりやすい言葉を使うと、誤解を生む可能性がありますが、ストア派は禁欲主義、エピクロス派は快楽主義と表現されます。この2つの学派はそれぞれがそれぞれの説を唱え、幸福に至る道を模索しました。
ストア派について
ストア派は古代ギリシャの哲学的学派で、自然の法則と調和して生きることを強調し、外部の事象に対する反応をコントロールすることで「アパテイア」(情熱の不在)を追求することを主張していました。道徳的美徳は最高の善と見なされ、すべての事象は運命によって予定されていると信じられていました。
ストア派におけるアタラクシアは、外部の事象に動じないことで得られる精神の平穏や安定を指します。この状態は、自分の意志や判断にのみ依存することで達成されるとされています。
エピクロス派について
エピクロス派は古代ギリシャの哲学的学派で、人生の最終的な目的として快楽の追求と痛みの回避を強調しました。最高の快楽は「アタラクシア」(心の平和)と「アポニア」(身体的な痛みの不在)の達成とされ、物質的な快楽よりも精神的な快楽が重視されました。
エピクロス派とストア派の両方がアタラクシアを追求する点は共通していますが、その達成方法や背後にある哲学は異なります。
2つの学派の幸福に対する違い
ちなみに、そもそも幸福とは何か? ということを定義できていないと思いますが、これは人によるため幸福とはこうである。というような定義をおいていません。このことは、また別の記事で幸福についての考察を行いますが、今は2つの学派の幸福のアプローチを学びましょう。
ストア派の幸福
ストア派にとっての幸福は、自然の法則と調和して生き、外部の事象に動じないことによって得られる精神の平穏や安定を指します。
幸福は、自分の意志や判断にのみ依存し、外部の事象や他人の意見に影響されずに生きることで達成されるとされています。道徳的美徳の追求と、自然の法則との調和が重視されます。「アパテイア」(情熱の不在)と「アタラクシア」(心の平和)がキーワードになります。
エピクロス派の幸福
エピクロス派にとっての幸福は、快楽の追求と痛みの回避によって得られる最高の状態を指します。ここでいう快楽はあくまで精神的な快楽のことを指しています。
幸福は、物質的な快楽よりも精神的な快楽を重視し、不必要な欲望を排除することで達成されるとされています。身体的な痛みや精神的な不安の不在が重視されます。「アポニア」(身体的な痛みの不在)と「アタラクシア」(心の平和)がキーワードになります。
これらの違いを要約すると、ストア派は外部の事象に動じないことと道徳的美徳の追求を中心に幸福を定義し、エピクロス派は快楽の追求と痛みの回避を中心に幸福を定義しています。
ストア派の実生活における例
会社員である田中は、毎日の生活で数々の困難に直面しています。彼の仕事はストレスが多く、家族の問題や健康上の悩みもあります。しかし、田中はストア派の哲学を学び、その教えを実践しています。
田中は、都会の喧騒の中で忙しい日常を送っています。ある日、彼の大切な仕事のプレゼンテーションが突然変更され、彼はその変更に驚きました。しかし、田中は最近ストア派の哲学を学び始めていたため、それを実践することにしました。
彼は、この変更は自分の手の届かないところで起こったことだと受け入れました。彼は怒りや失望を感じる代わりに、どう対応するかを冷静に考えました。彼は、外の事象はコントロールできなくても、自分の反応をコントロールすることができると理解しました。
また、友人からの誘いで高級レストランに行くよう誘われましたが、田中は必要以上の贅沢は避け、シンプルな生活を選び、断りました。彼は他人の期待や流行に流されることなく、自分の価値観に基づいて生きることを選ぶことにしたのです。
田中は、日常の小さな出来事や他人の期待に振り回されることなく、自分の中心をしっかりと保ちながら生活しています。
これが、ストア派の哲学を実践することで目指す、心の平和と幸福の例です。現代社会に生きる我々にとって、このことはまさに真逆のことのようにも思えます。ストイックという言葉はストアからきていて、ストイックな生き方と書くとわかりやすいかもしれませんね。
エピクロス派の実生活における例
山田は、都会の喧騒から離れて田舎でのんびりと生活しています。彼は、エピクロス派の哲学に触れ、日常生活の中でのシンプルな快楽を追求するようになりました。
ある日、彼は庭で育てている野菜を収穫し、それを使って手作りの料理を友人たちと共に楽しみました。彼にとって、このようなシンプルな瞬間こそが真の快楽であり、高価なレストランでの食事よりも価値があると感じています。
また、山田は不必要な物や情報から距離を置き、静かな時間を過ごすことを好みます。彼は、心の平和や精神的な安定を追求するため、過度な欲望や不安を避けるよう努めています。
山田は、日常の中でのシンプルな快楽を大切にし、物質的な欲望や社会的なプレッシャーから解放されることで、エピクロス派の哲学に基づいた幸福を追求しています。
まとめ
ストア派もエピクロス派も自然に生きるという点では同じです。快楽を追求して、己を見失うことを邪だとしたストア派に対し、エピクロスは快楽を追求することを重要視しました。同じ出発地点である、アタラクシア(心の平和)を目指す上でアプローチが異なっていることが分かると思います。
幸福とは心の平和であると謳っているのとほぼ同義なのですが、心の平和を目指す上で何が重要なのかについて、それぞれの意見があると思います。ここで一番重要なことは、どちらも正解であり得るということです。自身の幸福のことを考えたことがあったり、調べたことがある人はこの2つの学派のことはすでに学んでいる人が多いかも知れません。
もし、どちらのアプローチもしっくりこないなら、他のアプローチを学んでみましょう。自分に合う考え方、自分に合う生き方は自分で探すしかないのです。何も知らずに生きていくこともできるでしょうし、それが本当の幸せかもしれません。それでも、学びたいと思った人は学び続けることを躊躇する必要はないと思います。この記事が何かの役に立ったなら幸いです。
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