幸福への道 – 言語ゲーム的アプローチ

幸福

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが提唱した言語活動をゲームとして比喩したもので、特に側から見ると意味不明なやりとりとなっているものを言います。このことは抽象名詞のほとんど全てにいえることですが、その中でも特に興味を引くであろう、幸福というものを考えていきます。

言語と文脈に依存する言語

言葉は言語と文脈に大きく依存します。ただ単に幸福といわれても、これを連想したり考えたりすることは難しいです。前後の脈絡や環境、生活様式がここに付随されて初めて、幸福が何を指していて、何を意味しているかが分かってきます。

分かりやすい例

成功の定義

アメリカでは「成功」がしばしば「幸福」に直結しているとされ、成功は多くの場合、経済的な繁栄や社会的地位と関連付けられます。一方で、他の文化では成功がコミュニティとの関係性や精神的な平和といった他の要素によって測られることもあります。

家族の価値

日本などの東洋文化では、家族との絆や調和が「幸福」に大きく影響するとされています。これは、西洋文化での「個人主義」による幸福観とは異なる場合が多いです。

このように、あらゆる言葉に付随して幸福というものが存在しているようにみえます。実際には存在が何かなんて言い出すときりがないので先に進めますが。この分かりやすい例も、「すべての人が」というわけではありません。おおよそ、分かるくらいのもので、これは個々人によって違います。

分かりにくい例

「幸せ」の言語的ニュアンス

日本語の「しあわせ」、英語の「happiness」、フランス語の「bonheur」など、言語によって「幸福」に対する微妙なニュアンスが異なります。これらの言葉が指す「幸福」は、文化や歴史的背景によって微妙に異なる意味合いを持つ場合があります。

年齢と幸福

年齢によって「幸福」に対する価値観が変わることもあります。若い頃は冒険や新しい経験が幸福と感じられるかもしれませんが、年を取ると安定や健康が重要視されることが多いです。このような変動する文脈は、一人一人の「幸福」に影響を与えます。

どちらの例も幸福を考える時に、「ああそうかも」と感じることはあっても、考えることはあまりありません。なぜなら、意味不明だからです。意味不明なことを大抵の人はじっくり考えてみようとは思わないものです。そのため、ここでじっくり考えようとしている人は、私含め、相当に変わっているといえるでしょうが、楽しんでいきましょう。

言語の限界としての幸福

幸福という言葉は多義語です。一言でたくさんの意味を含み、色々な意味を与えることができる言葉です。それ故に、言語の限界ということも視野にいれておかなければなりません。そのことが語り得るのか、語り得ないのかについては、幸福は語り得るものであるという前提に立っています。

しかし、幸福を表す言葉がそもそも存在していないのであれば、幸福が何かということを指し示すことの限界を見ていることになります。今ある言葉だけで、幸福を語ることも、言葉があったとして語ることができるかどうかについては疑問の余地があるというわけです。

例えば、悲しいと一言に言ったとしても、この悲しみを他者が理解することも、悲しいと言っている人がその悲しみを完全に表現することもできません。悲しみという理解を示しやすい言葉ですら、この始末なわけですから、幸福というものがいかに難解であるかを感じ取れるかもしれません。

言葉が持つ限界を理解することは、他者の「幸福」や「悲しみ」に対する理解を深める上で非常に重要です。それは、言葉だけではなく、非言語的なコミュニケーションや共感も必要であるということを強調しています。この観点から、幸福は確かに「語り得る」ものでありながら、その全貌を言葉で捉えることは難しいと言えるでしょう。

言語ゲーム的アプローチを試みる

「経済的な成功は幸福に直結する」ことを例にとって言語ゲーム的アプローチを試みます。

これは特に資本主義社会や個人主義が強い文化でよく見られますね。この観点では、金銭的な安定や物質的な豊かさが、人々の生活の質を高め、結果として幸福につながるとされています。いや、しかしと考える人も多いかもしれませんし、同意する人もいるでしょう。面白くなってきましたね。

賛成のポイント

  1. 安定した生活
    経済的な成功は、基本的な生活費や教育、医療といった基本的なニーズを確実に満たすことができます。これが最も重要な幸福の前提とさえされています。
  2. 自由と選択
    資産があれば、より多くの選択肢が広がり、自分の人生を自由にデザインすることが可能になります。マズローのピラミッド的にもこれは一般化した思想になりやすいです。
  3. 自己実現
    経済的成功は、自分自身の能力や努力が報われる形となり、自己実現や自尊心の向上につながる場合があります。

反対のポイント

  1. 物質主義の罠
    経済的な成功だけが幸福であると考えると、物質的なものに過度に依存するリスクがあります。
  2. 人間関係の希薄化
    経済的な成功を追求するあまり、家庭や友情といった人間関係が疎遠になる可能性があります。
  3. 精神的健康
    経済的なプレッシャーは、ストレスや不安を引き起こすことがあり、これが幸福感に影響を与える場合があります。

経済的な成功が幸福に直結するかどうかは、個々の価値観や生活状況、さらには文化背景に依存します。経済的な安定が確かに多くの扉を開く可能性がありますが、それだけが全ての幸福の源泉ではないでしょう。幸福は多面的な要素から成り立っています。

生活様式から検証する

「経済的な成功は幸福に直結する」という言葉が誰から発せられた言葉なのか、どのような環境から発せられた言葉なのかということを考えることは実に言語ゲーム的なアプローチになりえます。

A:金持ちが言った場合
B:貧しい人が言った場合

この2つの場合における意味合いは大きく異なっているといえます。同じ言葉を使っているとさえ思えないくらいに、幸福という言葉の意味合いが大きく異なっているように感じ取れるはずです。つまりこのことが、言語ゲームとは何かを理解するのに最も役立つかもしれません。

おわりに

たった1つの事例ですら、このくらい検証することができます。たった1つの事例も、あらゆるパターンを検証したり、考えたりすることができるため、時間がいくらあっても足りません。このことについて、どこまで考えても答えは出ないです。もはや答えを出すことが目的ではなく、考えることが目的とすらいえます。

しかし、私にとっての幸福を言語ゲーム的に言い表すとするなら、考えることが幸福であるといえてしまうわけです。あまりに多くの問題を抱えている人にとって、考えることは幸福ではありえないですよね。つまり、確実に反対側の事実が浮かび上がってくるわけです。

このことによって、完璧な幸福の定義はありえません。人が不合理な生き物である限り、このことは絶対とすらいえます。しかし、たとえそうであっても幸福が何かを考えることは人類の、私の役に立ちます。それだけでいいと思います、それ以外の大義をそこに後付しても、虚しさだけが残りますから。

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