なぜ哲学は人気がないのか? その理由について考察してみた

哲学考察

哲学は最も人気のない学問と言われています。語弊があるので言い換えると、最も誤解をされやすい学問といえます。同時に、哲学は学問ではないと一部の学者が回答しています。このことが、より、哲学の人気をどん底まで落としているような気がしますが、それは置いておきます。今回は、なぜ哲学が世間的に敬遠され、誰からも理解されず、誤解されるのかを考察していきます。

人気がない理由

  • 実用性がない
  • 専門用語が難解
  • 長期的な思考を必要とする
  • 教育の場で教わっていない(教える人がいない)
  • 抽象的な内容
  • 割りと悲観的な内容になりがち
  • 職の狭さ

ぱっと考えただけでも、これくらいあります。もう真剣に考察すると、これだけでもっとたくさんのことが考えられそうですが、これくらいにしておきます。なんだか自分で書いてて少し悲しくなりました。とはいえ、誰かに認められることが哲学ではないので、気を取り直してやっていきます。

はい、まあこれらの要因については後ほどコメントをしていきますが、一番重要な点は難解であると感じられることにあると思います。「哲学、何それ美味しいの?」という人もいれば、「哲学…あぁ、アレね」という、多分知らない人も多くいれば、「哲学って、答えないんでしょ?」と謎の結論に至っている人も多くいます。

これらの人に共通しているのは、純粋に哲学を知らないということです。そして、これを学ぶ機会がなかったことが最も人気がないことへ拍車をかけています。当然といえば当然で、そもそも哲学をしている人が少ないので、教育者にも哲学者がいないのです。哲学は最もお金にならない学問と揶揄されているように、実用性の低さから、このことでお金を稼ぐことが難しいです。

また、教育の場で哲学者がいたとして、現場ではこのような混乱が起きることが想定できます。

学校にて

ソクラテス
ソクラテス

うーい、今日は平和について話し合いをしますよー

Aくん
Aくん

先生、僕知ってます。平和っていうのは戦争していない状態のことですよね?

Bさん
Bさん

違うわ、戦争の反対語なだけで、戦争しているかいないかに関わらず、争いがないことを平和っていうのよ。

ソクラテス
ソクラテス

ういー、両方とも正しいと言えるし、間違えているといえる

Aくん
Aくん

どこが違うんですか?

ソクラテス
ソクラテス

君の場合は、平和の「例」を述べただけで、平和そのものについて語ったわけじゃないよね?

Bさん
Bさん

じゃあ、私は?

ソクラテス
ソクラテス

Bさんの場合でいえば、冷戦のように争いこそ起こしてないが、争いの準備を着々と進めている状態は平和と呼べるだろうか? 争ってさえいなければ平和という結論は非常に議論の余地があるよね?

Aくん
Aくん

うわー…終わったわーこれ

とまあ、このような授業風景が脳裏をよぎりました。このような形にならない場合、先生が結論を述べてしまったり、不完全な哲学的対話を促すと思想が危険な方向に流れる可能性もあります。要するに、哲学はそれそのものが危険であるといえます。

哲学は危険

これはかなり誤解を呼びそうですが、思い切って進めます。これはしかしながら、ある程度的を得た結論の1つともいえなくはないのです。哲学は思考することを思考すると簡略化して述べることができますが、この思想が相手に固まっていない場合や、自分がなにかの思想に固まっている場合、もはやそれは宗教やマインドコントロールとの違いが分からなくなります。

つまり、哲学者はものすごく危険な刃を持って相手を突き刺すことも、その刃で他者のためにりんごの皮を剥いてあげることもできるわけです。しかし、これはやはりその人によるもので、哲学というツールをどのように使うかは、その人次第といえるのです。

時代が時代であれば、ヒトラーのナチズムは一時的にとはいえ世界を震撼させましたし、同時に一部の世界でかなり大きな支持を得ていました。現在、我々は資本主義という思想にどっぷり浸かり、何が正しいのか、格差社会を目の前にしながら、並々ならぬ違和感を感じている人、そうでない人。やはり、色々な人がいて、色々な哲学があります。

哲学そのものが危険だとはいえませんが、権力ある人がこれを用いた時、それが世界の新たな始まりとなるか、終りとなるかはその人次第です。哲学はナイフのようなもの、つまりツールです。

全容の見えない謎のツールとしての哲学

例えば、ナイフであれば用途は分かりやすいですよね。何かを切り裂くことに用いられます。その対象は利用する人が決めます。ナイフの用途はほぼ誰もが簡単に理解できます。定規も同じです、これの使い方はそんなに多くないです。用途としては、何かの長さを測ることです。

では哲学は? 社会学や医学、物理学や天文学はその用途が分かりやすいですよね。哲学は? 多分これについて答えられる人がほとんどいないのではないでしょうか。ちなみに私も答えられません。哲学者も答えられるかどうか怪しいものです。つまり、哲学という言葉そのものがもはや抽象的であり、全容が全く見えないのです。

つまり、ツールであるということは分かっているのですが、それが誰の目から見て、どのように見て、どのように利用するかという点において初めて実態を見ることができて、そうでない場合は全くわからないですし、見えているつもりでも全く違うものを見ていて誤解するということがあるわけです。

「耳を舐める」という言葉を聞いて、気持ち悪いって思った人と、猫かな?って思った人では言葉から得られる感覚はまるで違います。哲学は完全に言葉に依存したツールであり、言葉なしには全容を描けず、言葉では全容を描くことに限界があります。ウィトゲンシュタインがこのことを世界一わかりやすくまとめ、世界一難解にしましたが、世界一分かりやすく自身で自身を論破しました。

哲学を学ぶ意義はあるのか?

哲学を学ぶって書きましたが、めちゃくちゃ違和感感じながら書きました。これ学べるのか? という疑問はさておき、哲学を学ぶ意義も理解しておく必要があります。でなければ、やはり学ぶ意味がないということになってしまうからです。すべての知識や知恵というものは、学ぶ意味がないものなんて、ないと思うのですが、現代社会では溢れ出た知識をどうまとめるかという課題があります。

情報過多の現代において、情報を取捨選択しているというよりは、情報を浴びているような状態で、その大半はこぼれ落ちています。シャワーの水を手のひらに貯められないようなイメージです。ごくわずかの水だけが手のひらに残りますが、大半は落ちていきますね。情報も全く同じです。

学校の授業で学ぶような知識の場合、その範囲や内容は限定されていますから、特に意識しなくてもいいのですが、スマホを開いた瞬間にそれは発生します。情報を上手くコントロールできず、次から次に流れてくるニュースや動画を開いては「へぇ~…」なんて言いながらスワイプをしていく。この恐ろしいほど高速でサイクルしている情報のやり取りに、脳はついていけるはずもなく。

知識の吟味としての役割

身も蓋もないことをいえば、哲学は実用性に乏しい学問です。そのため、これを学ぶことで得られる実用性を理解したり、前もってメリットとして考えることが大変に難しいのです。しかし、知識の吟味をするということは、「自身の整理」を促すものであり、これをすることで知識の理解が進む可能性があります。逆に後退する可能性があるのが怖いところですが。

逆に言えばですが、むしろこれくらいしかメリットを感じ得ないのが哲学です。メリットを感じながら学ぶ現代社会には不向きなのかもしれません。そのため人気がないという結論には非常に納得がいくものがあります。

この知識の吟味という言葉も、めちゃくちゃ抽象的であり、何ができて何ができないのかが分かりにくいときています。しかし、ここが哲学のメリットでもあるわけです。つまり、哲学はすべての学問の礎になっているため、なんでもできるのです。同時に何もできないという矛盾を抱えていて、それが哲学者を悩ませています。

おわりに

この記事を読んで、「哲学やろうかな~?」と思った人は少ないはずです。むしろ、余計に哲学というものがわからなくなってしまった可能性すらあります。哲学とはそういものであり、その深淵さが魅力でもあるのです。現代社会に即していえば、あなたは変わっていて、とても特別です。そもそも、興味を持つ人すらいないという、謎の世界観を構築しているのが哲学ですから。

哲学の人気がないのは、上記で散々書いたので、ここでまとめるつもりはありません。これ以上書くと、なんか色々言われそうな気もしますし。実はもしかしたら、いま世界的には哲学がすごく人気で、それを私が知らなかった、ということすらあります。

世界とは自分が認識したものであるという前提に則って考えるのであれば、これは正しいといえる。同時に世界とは、私がいようがいまいがそこにあって、人類の集合知となった情報そのものを言う場合はこれに当てはまらない。

そう、このような文章が哲学を意味不明なものにしていますよね。でもこういう書き方をしないと、あらぬ誤解を生むのが問題です。哲学の問題とは言語の問題であると、よく言ったものです。本当にそうだと思います。さて、人気のない理由は分かりましたね、それでもあなたは哲学を学びたいと思っている。そうではない場合、すでにこの記事は読んでいないでしょうから。

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