「働く」と「労働」の違いについて考察

哲学考察


言語哲学の観点から「労働」と「働く」という言葉の違いを考えると、この2つは同じ活動を指しているようでいて、その背景にある意味やニュアンスには重要な違いがあります。同じような言葉なのですが、言葉が違えば感覚が大きく変わります。どちらでもいいんじゃないかと思いますが、今回はこれを考察していきます。

2つの言葉の背景を見てみよう

労働(Labor)

この言葉は通常、身体的または精神的な努力を伴う活動を指します。言語哲学的に見ると、「労働」という語は、しばしば経済的な必要性、社会的な義務、または苦痛を伴う活動と関連付けられます。たとえば、カール・マルクスの理論では、「労働」は資本主義システムにおける労働者の搾取と強く関連付けられています。

働く(Work)

一方で「働く」という語は、より一般的で広範な意味を持ちます。これには、労働のような身体的または精神的な活動が含まれますが、より積極的、創造的、あるいは個人的な達成感を伴う活動を指すことがあります。たとえば、アートの制作、ボランティア活動、または趣味としてのガーデニングなどは、「働く」という語の範疇に含まれることがあります。

ChatGPTに働く人と労働する人を描いてもらった結果…

言語哲学では、これらの言葉がどのように使用されるか、その文脈や社会的・文化的な背景に大きく依存します。同じ活動でも、それが個人の自由意志や創造的表現の一部として行われる場合は「働く」と表現されることがあり、一方で経済的な必要性や外部からの圧力によって行われる場合は「労働」と表現されることがあります。このような違いは、言葉が持つ意味の層を理解する上で重要です。

あらゆる側面から見る労働について

経済学における労働

経済学では、「労働」という用語は、財やサービスを生産するための人間の活動を指します。この文脈では、「労働力」という言葉もよく使われ、労働市場での労働者の供給を指します。例えば、「労働市場の動向」や「労働力不足」などの表現で見られます。

法律における労働

法律の分野では、「労働」は労働者の権利や労働条件に関連する法的な概念を表します。労働法では、働く人々の安全、賃金、労働時間、休暇などが規定されています。例えば、「労働基準法」や「労働契約」などの文脈で使用されます。

政治学における労働

政治学では、「労働」はしばしば労働者階級や労働運動と関連付けられます。たとえば、労働者の権利や福祉の向上を目指す政治運動や組織(例: 労働党、労働組合)で使われます。これらの文脈では、「労働」は経済的、社会的な不平等に対する反応としての側面を持ちます。

社会学における労働

社会学では、「労働」は個人のアイデンティティや社会的地位と深く関連しています。例えば、人々がどのように労働を通じて自己実現を図るか、または特定の職業が社会的階層にどのように影響を与えるかなどが研究されます。ここでの「労働」は、社会構造や文化的規範との関係性を強調します。

これらの例から分かるように、「労働」という言葉は多様な文脈で使用され、その意味はその使用される分野や状況によって異なります。それぞれの文脈で、「労働」は特定の社会的、経済的、法的、または政治的な意味合いを持っています。労働を働くに置き換えると非常に違和感があるかと思います。ここでは違和感程度に捉えておくにとどめておきます。

あらゆる側面から見る「働く」について

一般的な職業活動

最も一般的に、「働く」とは、職業に従事することを指します。これは、オフィスでの仕事、工場での作業、または商店での販売など、給与を得るための活動を意味することが多いです。この文脈では、「働く」とは生計を立てるための活動を指すことが一般的です。

自営業やフリーランス

「働く」という言葉は、従来の雇用関係に限らず、自営業者やフリーランスなど、自らのビジネスやプロジェクトに取り組む活動を指すこともあります。この場合、「働く」は自主性や独立性を含意することがあります。

家事労働

家事労働も「働く」という言葉で表現されることがあります。料理、掃除、育児など、家庭内で行われる日常的な作業は、経済的な報酬を伴わないものの、重要な労働形態として認識されています。しかし、ここでは労働に近い意味合いでしっくりくる感じもあり、家事が労働であるという側面を持っているのは確からしいといえそうです。

ボランティア活動

非営利の社会奉仕活動も「働く」と表現されることがあります。ボランティア活動は、金銭的な報酬は伴わないものの、社会への貢献や個人の充実感をもたらす重要な活動として位置付けられます。

創造的な活動

芸術家や作家など、創造的な分野で活動する人々の仕事も「働く」と表現されることがあります。ここでは、「働く」は単に生計を立てるためではなく、個人の表現や創造的な追求を意味します。

これらの例から、「働く」という言葉は、伝統的な職業活動だけでなく、より広い範囲の活動を含むことがわかります。それは経済的な側面だけでなく、個人的な満足感や社会貢献、創造性など、人生の多様な側面を反映しています。

働くは動詞的な使い方、労働は名詞的な使い方

「働く」の動詞としての用途

「働く」という言葉は、行為を表す動詞として使われます。これは具体的なアクションやプロセスを指し示すため、人々が何をしているか、または何をするつもりかを説明する際に用いられます。たとえば、「私は明日から新しい会社で働きます」という文は、個人の具体的な活動や計画を表現しています。

「労働」の名詞としての用途

一方で「労働」という言葉は、特定の種類の活動や状態を指す名詞です。これは、活動自体やその概念、状態を指し示し、より抽象的または一般的な意味を持ちます。例えば、「労働条件」「労働市場」「労働法」といった用法では、労働という概念が広範な社会的、経済的、法的な文脈において語られます。

この違いは、言語の機能と表現の豊かさを示しています。動詞「働く」は、活動を行う主体やその行為の具体性に焦点を当て、言語の表現を動的で具体的にします。対照的に、名詞「労働」は、活動そのものの概念や状態を捉え、より広範な話題や議論に適しています。このように、言語は様々な文脈やニーズに応じて、動詞や名詞といった異なる品詞を用いて意味を伝えます。

では働くの名詞は?

これを労働という言葉に置き換えることが不可能なのは、ここまでの考察でも明らかです。これは日本語における欠陥の1つであるような気がします。英語においては、workは名詞であり動詞です。これが日本語に相当する言葉になると「働く」という言葉になります。

一方で、労働は英語で「Labor」です。日本語において、働くを名詞的な使い方をするのは少しむずかしい場面が多いと思います。「働く」という動詞に相当する名詞形は、実際には日本語では直接的な対応語が存在しないことが多いです。しかし、「働く」の行為や状態を表すために、いくつかの代替的な表現が用いられています。

「働き」

これは「働く」という動詞の名詞形として時折使われますが、その用法は限定的で、「労働」と比較するとかなり狭い意味合いを持ちます。例えば、「彼の働きは会社にとって不可欠だ」という文で使われることがあります。このように用いた時には名詞になります。

「仕事」

「働く」という行為を表すためによく使われるのが「仕事」という言葉です。これは、特定の職業や職務を指すことが多く、より具体的な活動や役割に焦点を当てています。しかし、働くの名詞が仕事といわれると、違和感を感じます。

「勤務」

これは、特に雇用の文脈において働くことを表す言葉です。たとえば、「彼はこの会社に10年勤務している」といった使い方をします。しかし、家事において勤務と表現する人はいません。芸術家の活動を勤務と表現することがないのと同じように違和感があります。

「働く」という動詞が表す広範な意味合いと比較すると、「労働」という名詞はより公式的で、しばしば経済的または法的な文脈で使われます。一方、「働く」に関連する名詞は、より日常的な活動や個々の職務に焦点を当てたものです。このように、日本語では同じ概念を異なる文脈や視点から表現するために複数の語が用いられることがあります。

たくさんの表現を持ってして、働くという言葉を補完しているような気がします。実際にこれに相当する適切な言葉がないからでしょうか?

我々は労働をしているのか、働いているのか?

日本人の多くは、自身の仕事のことを労働とは呼ばないかもしれません。それは言葉として適切なものを知らないからというわけではなく、単に労働という言葉を使い慣れていないからです。それに、労働が示すものは先述したとおりですが、あまり良い印象はありません。

Bさん
Bさん

あ、Aさんおはよう、今日の労働どうだった?

Aさん
Aさん

今日の労働は大変だったなぁ…

などという会話は通常行われていません。時代と共に言葉が変わってきただけで、過去にはあった可能性がありますが……今回はそこまで調べきれていませんので、次回もし何か仕入れたらここは徹底的に見ていこうと思います。

話を戻すと、我々は働くことを仕事という言葉に置き換えている節があります。つまり、働くの名詞は仕事である可能性が非常に高いといえます。ただこれは先述したように場面が限定的すぎて、とても全般をカバーできている気がしないのですが、それでも大半の人には無理やり通じそうな気もします。

「今日働く」という言葉と「今日仕事をする」という言葉は同義です。言い表わそうとしていることが同じという意味でです。「今日労働をする」と表現する人がいたなら、きっと心配されることでしょう。労働ということばの響きはあまりにも悪いのです。実際に言葉が示すことよりも、その言葉を大まかにしか知らない人の場合はなおさらです。

働いているのか、働かされているのか

労働をする、というよりも労働させられているという表現のほうがしっくりきませんか? 労働とは意欲的に行うことではないからです。逆に働くという言葉はどこか意欲的な部分が多くあります。しかし、実際のサラリーマンなどに駅などでアンケートを取ったらどうでしょうか。

私は意欲的に働いています、だから「働いていると言えます」と回答しますかね。私は逆に働かされていますと回答する人のほうが多い気がしますが。回答の多い少ないはあるとして、働いているか働かされているかの違いに焦点を当てているのは、自身が働くということをどのように捉えているかが重要だからです。

言葉に決まった意味は存在せず、その言葉に意味をもたせることで言葉(世界)を自分で構築しています。もし、仕事がやらされている、仕方なくやるものだと思ったならば、あなたのそれは労働です。仕事ではないでしょう。何を持ってして働くといい、何をもってして労働と呼ぶかは自分次第ですから、どちらを選ぶかと言われたら、できれば働くという言葉を選びたいところです。

ただ、漠然と何か……働くという言葉は無理やり現代に浸透したのではないかと思ったりもします。仕事とは自らの意志で行っていて、意欲的な活動であるからにして、無意識のうちに毎日やっている仕事は自らの意志で行っているもの。つまり最初に述べた「個人的な達成感を伴う活動」であるわけです。

ものすごくしっくりきませんが、今回はここまでです。

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