テセウスの船 – 昨日のあなたは今日のあなたか?

哲学考察

テセウスの船のパラドックスは、物体の存在証明とその部品の交換に関する古典的な哲学問題です。この記事では、このパラドックスが提示する存在証明の問題を掘り下げ、現代社会におけるその意味を考察します。

存在証明について

最初に、知らない人のためにテセウスの船とは何かを以下に記載しておきます。

もしテセウスの船の全ての部品が徐々に取り替えられた場合、その船は依然として同じ船なのか、という問い。

テセウスの船のパラドックスにおける物体のアイデンティティの問題は、単に概念の捉え方の違いにとどまらず、より深い哲学的、存在論的な問題を提起します。ここでの主な問題は、物体の恒常性と変化の間の関係に関するものです。

物体の同一性(Identity)

物体のアイデンティティは、その形状、構造、歴史、目的などによって定義されることが多いです。テセウスの船では、部品が全て交換された後、外見や機能は元の船と同じかもしれませんが、その各部品の歴史は異なります。ここで問われるのは、物体のアイデンティティがその部品の物理的な性質に依存するのか、それともその物体の持つ歴史やストーリーに依存するのかということです。

すべての部品が交換されると、物体は見た目や機能では変わらないように見えますが、その本質は変わるのでしょうか? ここには、恒常性(永続する本質)と変化(進行する変更)の間の緊張関係が生じます。昨日のあなたは今日のあなたか? というタイトルはここにかけています。生き物つまり人間も、毎日のように細胞が入れ替わり、新しい細胞に置き換わっていますから、テセウスの船と同じ問いが生まれてしまうわけです。

話を戻します。一方で船は同じと見なすことができ、もう一方で全く新しい船と見なすこともできるため、この状況は矛盾するように思えます。これは、物体のアイデンティティが一貫した論理的基準に従うかどうかという問題を提起します。

日常生活において、私たちは物体をその機能や用途に基づいて同一視することが多いです。しかし、テセウスの船のような極端な例では、実用的な観点だけでは十分な説明にならない場合があります。このパラドックスは、物体のアイデンティティに関する直感的な理解を問い直し、物体、時間、変化に関するより深い哲学的な探求を促していることが分かります。

様々な視点から考察してみる

恒常性の観点

このアプローチでは、物体のアイデンティティはその部品の物理的な連続性に依存すると考えます。テセウスの船の場合、部品が全部交換されたら、それはもはや同じ船ではないという立場です。簡単に言えば、昨日のあなたは今日のあなたではないということです。あなたは毎日というよりはある程度の時間を経ると、もはやあなたではなくなり、あなたという存在は常に更新され続けているという立場になります。

記憶とナラティブの観点

物体のアイデンティティはその物体の持つストーリーや歴史に依存するとされます。たとえ物理的な部品が変わっても、船の歴史と物語が継続していれば、それは同じ船と見なすことができます。昨日のあなたは今日のあなたであるという立場になります。これは簡単に言えば、あなたという存在を構成するのは物質的なものではなく、そのストーリーと歴史によるものであることになります。

機能主義の観点

機能主義者は、物体のアイデンティティをその機能や用途に基づいて定義します。この観点からは、部品が交換されても船が同じ機能を果たしていれば、それは同じ船と見なされます。つまりこれは、あなたが健康であり、昨日も今日も機能性として同じであれば、昨日のあなたも今日のあなたも同じであるという立場になります。

段階的交換の観点

一部の哲学者は、物体の部品が一度に全て交換されるのではなく、段階的に交換される場合、物体のアイデンティティは維持されると考えます。これは、恒常性と変化の間の妥協点を提供します。このことは、昨日のあなたは今日のあなたを支持しているようにも見えますが、ある程度の時間をかけて部分的に交換を行った場合のみ適用されています。

攻殻機動隊というSFアニメがありますが、簡単に言えば新しい体に脳だけが入れ替わった場合、これはもう昨日あなたは今日のあなたではなくなります。脳があなたの存在を証明するものであるとした場合はこの限りではないですが、こうなるとまた別の議論を生み出すのでここでは簡単な紹介だけにしておきます。

一部の哲学者は、テセウスの船のようなパラドックスは、世界の本質的な曖昧さを示していると考えます。彼らによれば、このような問題に対する一つの明確な答えを求めること自体が誤りであり、複数の解釈が共存することを受け入れるべきだとします。

わかりやすくChatGPTで例えてみる

ChatGPTも常に学習を続けていて、アルゴリズムが変われば別のChatGPTといえます。しかし、用途や機能は性能によらず、存在そのものがChatGPTであるという矛盾が発生します。ChatGPTは時間の経過とともにアップデートされ、アルゴリズムやデータベースが変化していますが、その基本的な機能や目的は変わりません。この点で次のような疑問が生じます。

  • アイデンティティの継続性:ChatGPTがアップデートされる度に、それは「新しい」ChatGPTなのか、それともアップデート前の「同じ」ChatGPTの進化版なのか?
  • 機能と存在の関係:ChatGPTのアイデンティティはその機能(ユーザーとの対話、情報提供など)に依存するのか、それともその存在そのもの(AIとしての基本的な枠組みや原則)に依存するのか?

これらの疑問は、テセウスの船のパラドックスと同様に、アイデンティティ、恒常性、変化に関する深い哲学的探求があります。ChatGPTの例は、技術と哲学が交差する現代的なパラドックスの一例と言えますよね。

おわりに

存在論は私の専門ではないため、あまり詳しく解説できた気がしませんが、概要だけは簡単に触れられたかなと思っています。私がここにいるという存在について、ハイデガーが難解な言葉で難解に語っていますので、気になった人はそちらを。

言語的探求として、ウィトゲンシュタインがデカルトを批判しているように、あらゆる哲学者が存在についての知見を示しています。私はウィトゲンシュタイン派で、確実性についての議論を指示しています。昨日のあなたは今日のあなたです。

たとえ、昨日歩けていて、今日歩けなくなったとしても。昨日は貧乏で、今日いきなり宝くじがあたってお金持ちになっても。しかし重要なのは、私が私であるという強い信念だけがそれを支えていて、自身がそれを信じることができない場合はその限りではないでしょう。大抵の人はそんなことを考えもせずに、当たり前のこととして、自分は自分だと思っているでしょうから、特にこのことを考える意義というか意味を語ることはナンセンスだといえるのですが……

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